こんにちは、みくろです。
先日、映画『アリス・イン・ワンダーランド』を観たという記事を書きました。
最後の方にもう一度ちゃんと原作を読みたい!と書いていたんですが、早速ルイス・キャロル作、河合祥一郎訳の『不思議の国のアリス』を読んでみました!
小さいお子さん向けも含めて何度も翻訳されている作品ですが、現在ある中で大人が読むならこの角川文庫の河合さんの訳が一番読みやすいかなあと思います。
日本語にするのがかなり難しい部類の本なので、韻を踏んだ詩など本当に翻訳家泣かせだと思うんですけど、それでもかなり読みやすくしてくださってる印象。
もうご存知の方も多いと思いますが、念のため簡単なあらすじを。
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夢見がちな少女アリスは、ある日お姉さんと木陰で本を読んでいると時計を見ながら大急ぎで走っていく白いうさぎを見かけました。
ビックリして追いかけますが、うさぎが通ったトンネルの先で深い深い穴に落ちてしまいます。
落ちた先の部屋でアリスが見たのは大小バラバラのドアと、体が大きくなったり小さくなったりする不思議な薬や食べ物。
そして言葉を喋る動物たちと見たことのない程きれいな庭でした。
(映像としてディズニーアニメ版のも観てみたい)
言葉遊びから見る非現実感
この本の最大の特徴はやはり「言葉遊び」。
日本だとダジャレとか謎掛けがそうかなあ?日本語で韻を踏むってあんまりピンと来ないけど、英語(特にイギリス)では昔から言葉を使った遊びが多いイメージがあります。
特に子ども向けの歌や本に多いですよね。
『不思議の国のアリス』は会話のほとんどが言葉遊びで、正直全く意味が通じないし会話になってないんですが(笑)、だからこそ不思議でおかしい世界観を表現できたんだと思います。
発表された当時(1865年)は今のような漫画やアニメーションはないわけで、子ども達が楽しむための物語は語りで演出するか言葉で表現するしかなかったんですよね。
数少ないイラストと言葉だけで不思議な世界を表現するために、ルイス・キャロルは子ども達でも分かる言葉遊びを使ったんじゃないかと思います。
ちょっと助詞や接続詞を変えるだけで全く違う文章になったり支離滅裂になる、それを繰り返すことでクレイジーなんだけど哲学的なおかしな住人が出来上がるのが面白い(*^^*)
大人が読むと意味を求めようとして逆に難解になってしまうかも(笑)
考察も良いかもしれないけど、こういうものなんだとただただ受け入れて楽しむタイプの作品かなあと思いました(゚∀゚)
日本語ってかなり細かく何でも表現できてしまうから、つい言葉一つ一つの意味を探ろうとしてしまうけど、英語の原文はたぶん響きを重視しているので、頭を柔らかくして読む必要のある本だなあと改めて感じました。
できるだけ日本語でも響きを楽しめるよう翻訳してくださってるので、意味を探らず音や流れを楽しむ?貴重な読書体験ができると思います(*´ω`*)