ヘッポコ専業主婦と見守りおじさん。

ゲームと映画・海外ドラマ好きのマイペースに頑張る主婦が日常で感じたことや自分の成長を綴ったキラキラしないブログ。

#414 『残酷で異常』と死後の世界は生きてる人間のためのものではないか【映画】

#44以前はアメブロで投稿していたものです。

※簡単なあらすじとネタバレ含まない程度の感想あります。

 

こんにちは、みくろです。

昨日、映画『残酷で異常』を観ました!

残酷で異常 (字幕版)

 

原題は『Cruel & Unusual』、邦題はこれをそのまま直訳しただけですね。

パッケージやタイトルからはどういう内容か全く分からないと思うんですが、想像以上に重いテーマのある映画でした。

 

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突如起こったバスルームでの妻と自分の死。

気付いた時には車の中で、夢なのか?現実なのか?冴えない中年男エドガーは"あの日"を繰り返される。

 

記憶が混乱する中、部屋のドアを開けると全く知らない場所、いきなり始まるグループセッション。

両親を殺した、子どもを殺した、犯した罪を語る人々に「自分がここにいるのは間違いだ」と訴えるエドガーであったが、妻を殺した罪を認めろと迫られる。


残酷で異常なループ/映画『残酷で異常』予告編

 

ジャンルとはしては「ループもの」です。

正直エドガーが迷い込んだ場所や意味についてはわりと早い段階で予想がつくんですが、同じグループにいる女性ドリスだけが嫌われていたり尊大な態度を取っていた理由にはなるほどなと思いました。

 

何が罪なのか、反省とは?後悔とは?といろいろ考えさせられますね。

全員に共通しているのが「自己中心的」というところだと思うんですが、他者のために行動していれば何か変わったのか?

 

ホラーにカテゴライズされてますけど、心霊やグロなどの怖さがあるわけではなく、どちらかというと哲学的に考えさせられる映画です。

誰もが自分なりに思うところがある内容だと思うので、気になる方は是非チェックしてみてください(*^^*)

 

死んだ人のためのものというより…

この映画もそうなんですが、死後の世界が描かれた作品って結構多いですよね。

良いイメージか悪いイメージかはその話によって違うけど、個人的にそういう死後の世界って今まさに生きてる人のためのものだと思ってます。

 

というのも、最近ニュースなどでよく「孤独死」について語られてるのを目にするんですが、そういう記事に対するコメントで必ず「どんな人生送っていても死ぬ時は必ず一人」というのをよく見かけます。

 

おそらく「だから孤独死を恐れてるのはナンセンスだ」と言いたいんだと思うんだけど、これについて毎回ちょっと思うことがあって、たぶん多くの人が感じている孤独死の恐怖って物理的に一人であることではなくて「自分の生死に意味を見出だせずに終わること」だと思うんですよね。

 

個人的に生きる意味なんていうのはあってもなくてもいいと思ってるんですが、先に亡くなった家族や大切な人に「待っててね」と言える人生ではありたいんですよね。

 

例えば私は父が亡くなってるんだけど、生前不仲でほとんど交流がなかったからこそ今の私を「見ててね」と思う気持ちがあるし、父を弔うことで子どもの頃からの複雑な感情を整理することができた。

当たり前に明日も話せるとは限らないという、後悔しない人間関係というのも考えるようになった。

 

父が実際に死後の世界にいるかどうかは分からないけど、私がいると思って今生きてるのには意味があると思うんですよね。

 

だから孤独死の本当の恐怖って先に逝って待ってる人がいない、見守りたい残していく人のいない恐怖じゃないのかな。

 

もちろんこれは私個人の意見なので違うよ!って思う方もいるかもしれませんが、少なくとも死後の世界は生きてる人間の救いや戒めとなるもので、自分で生きる意味を決めるのは視野を狭めるだけだと思うけど、死後に誰かの人生を支える何かとなったら、その人にとっての生きる意味はあったと言えるかもしれません。

 

何だかちょっとスピリチュアルな話を長々と書いてしまったけど、要は死者に恥じない生き方をしたい、もし死後の世界があるなら会うのが気まずくなるような終わり方はしたくないってことです(ㆁωㆁ*)

生きてる意味なんて生きてる間は100%答えは出ない、死ぬまでにいくらでも変わるから。

 

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